東京パイロットクラブ50年の歩み

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    歩 み

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Pilot International

1921

パイロット・インターナショナルは80年前、アメリカ、ジョージア州メイコンで、40名のビジネス・ウーマンによって設立されました。

「友情と奉仕」の信念の下、「いつも真実の道」をモットーに奉仕活動を展開してきました。名称のパイロットはリーダーの意味と水先案内人を意味します。パイロットカラーは「生命と活力を表す緑」と「誠実を表す金」の2色でエンブレムは水先案内人がにぎる舵と決定されました

1926

パイロットの規範となる「倫理規約」はアラバマ州フローレンスのパール・スパークス会員によって書かれ、モンゴメリーで開催された第5回PIコンベンションで発表、採択されましました。

1940

第2次世界大戦のはじまり。大戦中はコンベンションこそ開催されなかったが、各地でパイロットメンバーはめざましい奉仕活動をし続けていました。

東京パイロットクラブ 50年の歩み

1951

終戦後米軍の軍属で来日していたフロリダ州、セントピータースバーグPCの会員であったメアリー・カーター女史の出会いがきっかけとなり、裏千家茶道家の近藤千蔭とジャパンタイムス(当時ニッポンタイムス)の白石つぎの2名が各分野の知識層夫人に働きかけ、チャーターメンバーを募りました。そして、セントピータースバーグPCのオーガナイズでPI本部より5月12日に日本で最初のクラブとして認証を受けました。初代会長は代議士の神近市子、認証式は6月7日千代田区神田のYMCAで執り行われました。主だった会員には作家の平林たい子、団体役員の松下実、国会議員の市川房枝や加藤シヅエ、津田塾学長の藤田タキ、NHKの江上フジなどそうそうたる戦後の女性を代表するリーダーたちがいます。奉仕活動もさることながら、彼女たちは日本女性の地位向上に情熱をもち、計り知れない貢献をして参りました。

1952

創立2年目の1952年には、第2代会長の白石ツギがアメリカ本部よりミシガンのPIコンベンションに招待されました。大戦時アメリカの敵国であった日本人が渡米するというのは大事件であったと思われ、渡米の記事がメディアをにぎわせました。

設立以来長い間、パイロットインターナショナルへの会費は特別に免除するという措置が取られ、ありがたいことでした。

 

設立当初の主な奉仕活動としては、東京PCの会員が苑長である孤児院の「双葉学苑」へメンバーがサンタクロースとなってクリスマスプレゼントを孤児たちに贈りました。「パイロットクラブ」の名入りマッチを作り銀座で販売したりしました。

毎月1500円を二人の女高校生に贈与という形の奨学金も開始しました。

1956

資金調達のため、戸越の保育園でバザーを開催しました。

このころから、海外交流も徐々に行われ、会員が自費でPIコンベンションに参加しはじめた。(大島清子PIコンベンション)

1960

60年代の初期には、米国の他クラブから寄付を受けました。

また、会員の竹本素女の遺言によりファンドの基金が寄贈され、それが刺激となって会員の寄付やバザーの収益金などで東京パイロット基金を設立し、寄付先を確立しました。

1967

当時の会長平井美奈の長女平井多美子嬢により、「パイロットの歌」の翻訳がなされました。

1971

20周年記念として、資金調達のために第1回チャリティバザーとオークションをマツヤサロンで開催しました。

1972

 

アメリカPI創立50周年また、東京PC創立20周年ということで、税所百合子がPIコンベンションに初参加し、代表でスピーチをしました。アメリカでの女性のパワー、相互支援などを学び感動したことがきっかけとなり、税所百合子の献身的な日本国内の拡張活動が始ります。

1974

2年後には税所百合子のリードで東京PCの加藤愛子と大阪の福森寿子女史のご協力で、日本で第2番目の大阪PCが誕生しました。

1977

地道に奉仕活動をしている篤志家を顕彰するという目的で東京パイロット賞が創設され、第1回受賞は仏教滋徳学園の花輪きみ子氏に長年少年の補導に献身されたことにより授与さました。第2回は盲学生のために教科書を点字訳している吉田トシ氏に、第3回馬場広子氏、第4回塩屋和子氏、第5回は金子富江氏、第6回は木村光子氏にと約10年間顕彰を続けました。

チャリティパーティの開催場所がマツヤサロンから青山ベルコモンズに移動しました。

1981

税所百合子がPIより、まず、総務顧問に任命され、その後、3年間PIリエゾン職を任命される。その後、日本審議会設立され、初代会長となりました。

1982

東京PC賞が東京盲導犬協会(当時の名称)、理事長夫人の塩屋和子氏に授与されたことがご縁で、会員の鎌田滋子会員宅でのアイメイトチャリティコンサートを開催されました。

1980
年代

PIコンベンションの出席者も多くなり、大会での日本パイロットの活躍が注目され始めてきましたた。

その後、1980年には盛岡、1981年には鹿児島、1984年埼玉、沖縄PC1985年には横浜PCを東京PCが桜東京PCをスペシャルチームがオーガナイズしました。

80年代末には日本全国で14クラブとなりました。

1990

 

 

 

日本ディストリクト誕生しました。

東京PC創立40周年記念式典を祝し、アイメイト東京パイロット1号を財団法人アイメイト協会に寄付しました。

この年からアイメイトコンサートが場所を移し、東京PCの恒例事業として行われることとなりました。

1994

北海道に初めての札幌PCを、また、青少年の東京アンカークラブもオーガナイズしました。

東京近在5クラブで初めての合同プログラム「友情と奉仕の集い」開催しました。

1996

PI設立月を記念し、第1回全国統一パイロットウォーク実施され、東京地域は5クラブで皇居一周を歩きました。

1990
年代

東京PCは湘南PC、高崎PC、八王子PC、札幌PC、東京アンカークラブを、また、会員のスペシャルチームにより、ダイヤモンドPC90年代にオーガナイズしました。

 

1990年代末には日本ディストリクト内では合計42クラブ、アンカークラブ6クラブとなりました。

 

東京PCのクラブ活動も50年という歴史の中で、その時々の社会情勢に合わせ変化してきました。

現在持続している主だった活動は、寄付をするための資金調達として、恒例のチャリティバザー(31年目)、アイメイト コンサート(19年目)、俳優座でのチャリティ観劇会(12年目)などがありますし、ボランティア活動としては、児童養護施設や老人ホームへの訪問や公演、老人の買物の付き添いをしたりと夫々のチームを編成し、充実した奉仕活動を行っています。

寄付としては、1978年より続いている聖路加看護大学へ「奨学金」、児童養護施設「ひかりの子学園」、社会福祉法人「藤倉学園」、財団法人「アイメイト協会」の団体に贈呈させていただいています。

2001

未来へ

2001年は記念すべき創立50周年。気持も新たに、日本ディストリクトの仲間と共にこれからのパイロットクラブの在り方を模索し、「友情と奉仕」の輪を広げ「明るい未来へ」のお役に立ちたいと決意を新たにしています。


2002
02.08.02PIコンベンション’02カナダ・トロント大会
10月2日東京PC初のチャリティーゴルフコンペを開催。台風の翌朝というコンディションにもかかわらず66名の方々にご参集いただき、プレーも支障なく無事終了いたしました。
10.20第7回全国統一パイロットウォーク02.

10.27チャリティ・コンサート 開催

02.11.02チャリティーバザー
02.12.11川村晃司氏講演&クリスマスパーティ
2003
2.24
山中龍宏先生講演&
ブレインマインダース紙芝居劇上演

文京シビックセンター・小ホールにて
 はじめに「子供の事故は予防できる」と題して、緑園こどもクリニック院長の山中龍宏先生の講演があり、そのあとブレインマインダースの紙芝居劇を上演しました。ふくろう、きりんパンダ、モンキー、きつねのブレンマインダースのおなじみの仲間を各会員が司会の岩崎さんのナレーションと共に、一生懸命演じました。


第13回PI日本ディストリクトコンベンション
4月25−27日の3日間、広島で、全国のパイロット、アンカーが約300名集まりました。わが東京PC、太田会員が全国パイロットの頂点に立つ、ガバナー就任式、バンケット、PI表彰、東京PCがホスティングする秋のワークショップへのお誘いデモンストレーション、等など、会長をはじめ、16名の東京PC会員の3日間大活躍。

2004 編集中です
2005 6月11日チャリティ観劇会 「ちいさな歳月」岩崎加根子主演

9月23・24日第16回「秋のワークショプ」
10月2日全国統一パイロットウオーク(文京区、根津神社周辺
10月12日有村悦子ガバナーエレクトの公式訪問(市ヶ谷アルカディアにて)

11月5日第35回チャリティバザー青山ベルコモンズ9F クレイドルホール
11月20
日本ウオーキング大会に参加(東京・大井競馬場にて)